装いにみる誇り

こんにちは。黒田です。

 
 
 
 
 
 
 
ペコラ銀座お洋服研究日記。
 
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〜装いにみる誇り〜
 
 
 
 
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主に18世紀以降の英国を舞台としている「服装と階級」の本を、すっかり読み進められているように思っていた。そんな中、「あー戻らなくちゃ」というところにきた。
 
実はわたし、すっ飛ばし読みをしていた部分がある。そしてここにきて、その部分に戻る決意を固めないといけない時が来たのだ。
 
丸々すっ飛ばしていたわけでは無かったのだけれど、すっ飛ばすように読んでいた。流し読みどころではない。すっ飛ばし読み。でもやっぱりそこはちゃんと読まないといけない部分。勇気を振り絞って、戻り、読み直した。
 
そうして読み直した感想は、「あー良かった。本当に。」
すっ飛ばし読みする事によって自分が逃げていた部分に立ち戻り、ちゃんと挑んだら、まるで頑張ったご褒美かのような宝物を得た。今日はその話。
 
 
 
 
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何を隠そう、わたしはすっ飛ばし読みをした。
 
その部分は、第一章の前半丸々に相当する。その部分とは、この本において「階級」という用語をどのような定義づけで用いていくかという事を、「階級」という言葉と概念が歴史的にどのように展開してきたかを解説しながら説明していく部分である。
 
「なんだ最も大事な部分ではないか?しかも今読んでいる本は‘服装と階級’の本であろうに、そこをちゃんと押さえずして読み進めているとはどういう事だ?」 自分から自分へ対して聞こえてくる批判に、「そんな事は百も承知だ。」と言いたい。
 
すっ飛ばしたい気持ちに甘んじてすっ飛ばし読みをした理由は単純。少し苦手だった。階級という概念。そこに向き合いきるのに、少しばかし勇気を要したから。でもそこをすっ飛ばして読み進めていく中でやっぱり行き詰まった。行き詰まったというより、自分の理解が浅い事に納得がいかなかった。だから勇気を振り絞って戻る事にした。
 
ページをめくり戻しながら、ペコラ銀座店主が言ってた言葉を思い出した。「少しでも気になったら、ほどいてやり直したほうが良い。そのままにしておくと、結局最後に服が仕上がって、やっぱり気になっていたその部分は何かおかしくて、絶対に仕上がりに満足いかない。だから少しでも気になったら、やり直す事。すすめば進むほど、戻れなくなる。気になったら、戻る、やり直す。」、、勉強も服づくりも、なんだったら人生も、立ち戻る勇気なのかもしれないな〜なんて思いながらページをめくり戻した。
 
ようやくすっ飛ばした部分まで戻った。今度こそ、ちゃんと読む。
 

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オックスフォード英語辞典において‘Class’という用語が社会的区分やグループ分け「階級」と言う意味を含むようになったのは1772年だそうだ。それまでは‘estate’や‘rank’、‘order’そして‘degree’などの中世を起源とする言葉が、社会における階層を表す言葉として用いられていた。このことから、マルクス主義的な歴史観と重なるが、「階級」と言う用語が浮上した歴史背景には産業革命と資本主義の台頭があり、これら以前の時代における社会的階層に対して「階級」という用語を当てはめるのには少し無理があるであろう事がわかる。

もちろん、この「階級」という用語が使われる以前の時代にも社会的階層や身分は存在した。しかし、それらの‘階層’‘身分’という概念は、産業化とは別の歴史的背景の中で形成されたものだ。例えば、土地を所有する地主の存在であったり、君主制であったり、これらの要素を含む歴史的背景の中での概念である。

それから貴族制。1688年頃のイングランド社会において人口の大半数を占めた身分層は、農業労働者と貧困民であり、残りのわずかな一握りの人口がgentry(紳士)以上の身分であった。そしてこのような社会的階層は神の定めと信じられ正当化されていた。

産業化以前の近世において、「服装」が身分を特定する最も明らかな目印のように働いたことも、‘神の定め’によって正当化された階層身分社会における奢侈禁止法のためでもある。

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産業化の影響により、それまでの服装と‘身分’の関係は服装と‘階級’へと移っていく。言葉の表現の上だけではなく、概念そのもの、そして人々の装いや意識においても変化を遂げていく事になる。

今日はその中の、労働者階級(Working Class)にまつわる特定のエピソードを抜粋して、このつづきを書いていく。

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例えば、雇用主である地主はフロックコートを着て、労働者はスモックフロックを着る。と言う具合に、階級社会において「服装」は一目見ただけでその者の階級を識別できる要素を持つものだった。

しかし、これは必ずしもその服装を纏う階級の‘惨めさ’を現すものであったのだろうか。労働者階級の人々のアイデンティティーが変わりゆく中で、階級を特徴付ける服装とその服地が重要な役割を担ったと言うエピソードがある。

1830年〜40年代にかけて、労働者階級を中心とした成年男子の普通選挙権を要求するチャーティスト運動が起こった。この運動の指揮者であったFeargus O’Conner氏は、公共演説の際にファスティアンスーツを堂々と着用した。そしてその姿は「1840代初頭における最も重大な公共声明であった。それは言葉無くして語る階級声明だった。」と言われている。

また、同時代の農業労働組合の代表であったJoseph Arch氏は自叙伝において自身の服装について、「スモックフロック、ファスティアン、モールスキンなどは、‘自分は労働者階級とともにある’と言うアイデンティティーを示す紋章のようなもの」だと説明する。

これらのエピソードから垣間見えるのは、階級社会を生きる当時の人々がいかに自身の階級を‘認めた’うえで階級を識別させる服装を身に纏っていたかである。また、それは必ずしも自分自身を哀れむ要素ではなく、自分自身を肯定するアイデンティティー、そして他者(他の階級)と自分自身の‘意識的な識別’として受入れていた。

この事より、「服装と階級」の関係は、単に服装から読み取る社会的地位や職業、経済力の識別というものだけに留まらない事がよく分かる。

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このエピソードを読み、わたしは心の底から安心したのだ。‘すっ飛ばした部分’に戻る決心をして、百科事典と辞書とその他数冊の本を武器にその部分に挑み、読み抜いた事に「あー良かった。本当に。」と思い、頑張った自分を褒めた。そして頑張ったご褒美に宝物を得たような気持ちになった。

当初の‘すっ飛ばし読み’を決行した、わたしの‘階級’と向き合う上での苦手意識がどこから来ていたかと言うと、「階級と服装」の関係を深く知れば知るほど、仕立屋さんとしての軸に関する終わらない自問自答に苛まれるのではないかと言う少しの恐怖心があったからだ。もっと言うと、‘良い洋服’とは、上流階級のためのものだったと言う事を突きつけられるのが恐かった。読むかも知れないと勝手に想像していた事を受け止める覚悟が決まらなかった。

でも、立ち戻り、逃げていた部分を読み終えたわたしには恐怖心はもうなくなった。

階級社会の時代に、ファスティアンスーツを身に纏い、公の場で堂々と演説をする労働階級の成年の立ち姿、「我こそ労働階級である」と胸を張って言わんばかりの誇り高い姿を想像すると、わたしの恐怖心は一瞬にして払い除けられ、代わりに舞い込んできたのは自省と気付き。

自省は、自分の決めつけと甚だしい誤解、そしてそれに起因する勝手な恐怖心を抱いていた事に反省をした。と同時に、私の決めつけが誤解であった事実は、私にとっては究極的な救いとなり、希望の光を見出すきっかけとなった。わたしの勝手な決めつけを根こそぎ覆してくれた、過去の人々の勇気と誇り高い生き様に心からの感謝と敬意の気持ちが溢れ出す。

それから気付き。‘良い服’とは、何か。それは、服単体では成されず、その服を纏う人の意思や誇りとが、絡まり、溶け合って、出来上がるもの。

そんな気付きから、わたしが得た小さな宝物。それは、仕立屋さんとして、どんな時でも立ち返りたい精神。

どんな時代のどんな世の中であったとしても、仕立屋さんは変わらず人々のために最高の服を仕立てる者でありたい。仕立屋さんは人々のために最高の技術をもって‘良い仕立て’をする。そして仕立て上がったその服はその人の装いとなり、その人にとって‘良い服’となり、その人の生き様そして誇りのあらわれとなる。

これはペコラ銀座店主、佐藤英明の仕立屋さんとしての姿勢でもある。「どんな人にでも、僕は服を作る。その人が何者であろうと、僕の仕事は、服を仕立てる事。その人のために、最高の服を作る。」常々このように口にするテーラー 佐藤英明。彼の姿勢、そしてペコラ銀座の洋服づくりが、この服装と階級の歴史を学ぶ上でも肯定されたように思えて、わたしはこの上ない安堵感に包まれている。

Memo…戻る勇気は報われる。

直しながら永く着る。

こんにちは。黒田です。

 
 
 
 
 
 
 
ペコラ銀座お洋服研究日記。
 
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〜直しながら永く着る。〜
 
 
 
 
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引きつづき、どこから?いつから?の発見と疑問の連続。
 
人の装いには身分や階級、経済力などを見極める要素が散りばめられている。しかし、服装に散りばめられる要素の持つメッセージが「何を意味するか」は、時代毎に異なり、その異なりや変化には人の意思と意図も絡んでいる。
 
考えてみれば、何事においても人の意思や意図がどこかしら存在している事も当たり前なのだろうけれど。そんな当たり前に立ち返るのにも、本を読む時間と言う‘きっかけ’が必要だった。
 
文字にされた洋服に関する新しい知識を得る新鮮さがすごく楽しい。
 
今日は、「洋服を直す」という要素が持つメッセージの変化にまつわることを記す。
 
 
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「良いものを直しながら永く着る」「仕立て服を嗜む美しさ」これらのフレーズを、わたしは一年前のブログに書いていたな〜と、本を読み進める中で、思い返し、そして考え込んだ。

考え込んだ理由は、「直しを施しながら服を永く着る」と言う発想は、仕立屋さんとして当然の考えであるかのように思っていたからだ。前回の洋服研究日記ブログで書いた「今年の新作」があまりにも当然だったのと同じように、「直しながら着るのが良い事」と感じる価値観もまた当然すぎた。その考え方がどこから生まれたかとか、いつからかとか、そういえば考えていなかった事に気がついた。「良いもの」と「永く愛用する事」はセットとして当然の価値観としてわたしの中に宿っていた。でもやはり、今ある当然には、今までの歴史があるのだ。

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服装と階級の関係性の中では、過去の多くの(ほとんどの)時代において「服の破れ」「服に穴が空いている」状態の服は「貧しさ」の象徴であったという事が、今読んでいる本に記されている。

服を‘リメイク’したり‘お直し’する行為に関しては、人によって好まれたり好まれなかったりされながらも、やはり服に空いた「穴」「破れ」それらを「直した跡」というものから視覚的に読み取られるメッセージは、ほとんどの場合‘貧しさ’であった。

ところが、第二次世界大戦中に英国の商務省が行なった、あるキャンペーンによって、服の穴、破れ、そして直した跡が象徴するイメージに変化がもたらされた。そのキャンペーンとは、‘Make do and Mend’キャンペーン。‘あるものを直して着よう’というこのキャンペーンの謳い文句は、「綺麗につぎ当て(お直し)された洋服は、今日においては誇りに思うべきものであり、もはや‘貧しさ’の象徴ではない」というものであった。 

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洋服の穴や破れに付随するイメージの変革を試みる国を挙げたキャンペーンもあった事に、なるほどと頷きながら読んだ。

これについて、ペコラ銀座店主とも会話をしたら、「チャールズ皇太子とかチャールズパッチとも関係あるのかな〜」なんて話にもなった。

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チャールズ皇太子は洋服も靴もメンテナンスしながら永く愛用していることを良く知られている。今のわたしにはそれくらいの知識しかなくて、今ここにチャールス皇太子の服装と‘Make do and Mend’キャンペーンの関係については分からない状態だから何も書けない。ただ、ひとつ発見した事があって、それは、チャールス皇太子の「つぎ当て」「お直し」された洋服に対する世間の意見は賛否両論なんだな〜と言う事。そして何だかそれがとても面白く感じられた。

ある人は「皇太子ともあろう人物が、つぎ当てなんてしなくても服なんていくらでも新調できるでしょう。お金に困っている訳ないんだから」と評し、ある人は「永くものを愛用する皇太子の姿勢はなんとも美しい」と賞賛する。またある人は「お直し自体は否定しないけど、貧しさを連想させる」と言い、ある人は「直すのは良いけど、皇太子のこの直しはなんだ、ひどいつぎ当てだな。服の穴は繊維を埋め込むかけはぎすべきでしょう」と言う。

チャールス皇太子の「つぎ当て」「お直し」を批評する人々の発言からは、未だに「服の穴」には貧しさが連想される事が根強く残っていることも垣間見れるし、「お直し」が美しいと言う評価が浸透していることもうかがえる。また、お直しそのものの技術、お直しの方法や仕上がりの美しさについて気になる人がいる事もすごく面白くて良いなと思った。

ちなみにペコラ銀座店主的には、チャールズ皇太子の「つぎ当て」スタイルは「商売的には好きじゃないけれど、個人的趣味としては凄く好き。現に自分の服を見てみると、ほとんど全部そうだから。」と、紺屋の白袴な自分自身を笑いながら語っていた。

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破れた服や服に空いた穴が貧しさを象徴していた歴史も、戦時下において「あるものを永く着よう、直そう」と国を挙げて促すキャンペーンのどちらにも納得する。そして、このような事実に加え、歴史の中での様々な要素が絡む中であらゆる考え方や価値観が構築されてきて、そんな中での今の自分の価値観が形成されているんだなと改めて認識する。

それから考える。

冒頭に綴った、「良いものを直しながら永く着る」「仕立て服を嗜む美しさ」というこれらの価値観。やはり、仕立屋さんとしては大切にしていきたい価値観である。と同時に、これらの価値観に見合うために、仕立屋さんとして果たすべき当然の責任がある。その責任とは、「良い洋服を作ること」である。

「直しながらずっと永く着る」ためには、そもそも「永く着ることの出来る良い洋服である」事が必要で、そのような洋服を仕立屋さんは作らなければならない。

ペコラ銀座店主、佐藤英明はいつも言っている。「着れないものは絶対に作っちゃダメなんだよ。ちゃんと着れる良いものを作らなくちゃいけない。裁断から縫製から、プレスから、フィニッシュ、ボタン付け、仮縫い、納品、お客様との対話、その全てが大切で、その一つ一つが合わさって初めて良いものになる。どれ一つとして手を抜いちゃいけない。」と。そして「直しながら永く着るじゃん。そしたら愛着が湧いてくるの。うちで仕立てる洋服が、その人にとって愛着の湧くものになっていってほしい。」と。

ペコラ銀座の洋服づくり。店主、佐藤英明の想い。

忘れず心にとどめて、洋服の学びを深めていきたい。

Memo…直しながら永く着れる、良い服を作ること。仕立屋さんの責任。

どこからの。いつからの。

こんにちは。黒田です。

 
 
 
 
 
 
 
ペコラ銀座お洋服研究日記。
 
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〜どこからの。いつからの。〜
 
 
 
 
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序文に取り憑かれた狂気から脱却して、順調に読み進めている。リラックスした気持ちで本を読む時間は、やっぱり良い。
 
決めつけ視線を取り払って読む文字から入ってくる情報に、現在の自分の価値観を問いただされているような気持ちになる。
 
今当たり前に思ったり感じている、洋服にまつわる色んな事柄と価値観。それってそもそもどこから来たのか。
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今読んでいる「階級と服装」の本は主に時代的に18世紀以降の事について書かれている。それから地域は主に英国、(時折歴史的な背景を示すのにヨーロッパも出てくるけれど、)。生地と衣服、それらを纏う人の装いがその人の階級を見なす手がかりであった事。同時に、服装と言う文化そのものが階級という概念の形成発展の一助になった事。更に、服装と階級が関係性を持った事によって、洋服を纏うことが身分を隠す手段にもなった可能性について書かれている。

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余談だけれど、とっても大切だと感じていて心にとどめていることがある。ペコラ銀座店主、佐藤英明は、彼の父親の「洋のものは洋で学べ」と言う教えに習い、10代のうちに早々とヨーロッパに渡り洋服づくりを学んだ。今でこそヨーロッパでのテーラー修行は珍しくなくなってきているけれど、25年前の当時は日本のテーラー業界においてそんな人はいなかった。その分、イタリア修行を終えて帰国したばかりの佐藤英明が直面したのは「欧州的な洋服づくりが理解されない日本の環境」だった。それでも、孤独にひたすらに自分の信じる「洋服づくり」を貫いてきた中での今現在があり、ペコラ銀座の洋服づくりがある。

今でも佐藤英明がよく口にする「日本での洋服の歴史って、実は意外と短いんだよね。まだまだ知らなきゃいけないことが沢山ある」と言う言葉。これって実は物凄く大切な認識であり、姿勢であり、わたしはとても尊敬している。この洋服研究日記を始めるにあたり、読む書物を洋書中心にした事も、その影響がある。

もう一つ、小話。佐藤家は代々続く、テーラーの家系。佐藤英明の父親は、テーラーという職、そして洋服を作る事をとても誇りに思っていた。佐藤英明の父親が営んでいたお店の壁には明治天皇の洋服を奨励する言葉を額縁に入れて飾ってあり、その額縁を眺めながら「ほら英明、日本人には洋服なんだ。自信持って洋服を作るんだ。」と、若かりし佐藤英明にいつも父親は言っていたそうだ。親子代々、洋服に対して抱く高い誇りと崇高な探求心に、わたしは心からの敬意の念を抱く。

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さて「服装と階級」。

さきほどの余談にも通じるけれど、「どこから」そして「いつから」と言う事。そしてその先にあるのは「これからどうしていきたいか」。それらを今すごく考えさせられている。

例えば、今では当たり前の毎年の流行。そう言えば毎年シーズンごとに「今年の」新作生地や、「今年の」流行スタイルというものが当然の様に発表されたり浮上したりする。でもそれって、どこから?いつから? 普段は意識しない事に、思考を巡らせてくれる洋書研究。とっても面白い。

今読んでいる本には、フランスのリヨンで作られる絹織物に関するある変化について記されている。

もともと、リヨンの絹織物を作るのにはとても手間がかかり、最高級品として認知される富裕層向けの織物だった。そのリヨンで生産される高級絹織物に1660年代から1670年代にかけて制定されたのは、「デザインの一年ごとの入れ替わり」。どう言う事かと言うと、パターンや色味を「一年単位」で新しく展開していく事としたのだ。

それまでは存在しなかった、織物の生産における「かつて無い速さの‘入れ替わり’」をシステムとして推進し、その‘入れ替わり’に「一年ごと」と言う単位を設けたのである。

その最高級品に「年単位のシステム」を当てはめる事によって、論理性をもった上での、デザイン、マーケティング、製造を可能とした。そして何よりも「今年の新作デザイン」と言う‘栄誉’をその織物に与えた。

そもそも、富裕層向けであった、大変に評判高く、最高級と言われた絹織物に、「更なる‘栄誉’」を与えなければならなかったのは何故か。それは、富裕層が富裕層たることを、外見的に表現する事の重要性が洋服の形やスタイルだけでなく、織物と言う洋服地そのものにも求められ始めたからではないか。富裕層が富裕層たることを示すために、富裕層の纏う洋服地には、手間がかかり高級な品であると言うそもそもの根本的な希少価値に加え、更なる付加価値の上乗せが求められていた。新作織物を一年サイクルで生産すると言う制定があった事実には、そのような状況が投影されているのではないだろうか。

リヨンの絹織物の生産において先に述べた「今年の新作」と言う1年サイクルのシステムが制定された時期と同じくして、ルイ14世の宮廷における‘装いの変革’があった。それに伴い、毎年の王室ワードローブ一新のために、宮廷にはリヨンの最高級絹織物「新作デザイン」が納められ、宮廷の‘古くなった’昨年分の生地や衣類は全て処分されるのであった。

絹織物のデザインを1年ごとに入れ替えるシステムの制定に加え、王室御用達の高級織物の生産地となったリヨンと言う地は、当時のファッションにおけるリーダーシップの発揮と存在感をより一層強固なものとしたそうだ。

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このリヨンの絹織物について読みながら、わたしは思った。

わたしは深く考えもせず、当然のようにシーズンごとの新作生地をSNSなどで紹介していた。今年の新作、春夏、秋冬。あまりにも当然すぎた。

でも、これが当然となるまでの歴史が存在するのだ。何事もそうなのだけれど、「今」に飲み込まれ、全く気づこうとしていなかった。私の認識はあらゆる側面において「知らない事、気づいてない事だらけ」なんだろうなと、本を読みながら感じている。だからこそ、この終わりのない洋服勉強の旅はずっとずっと続けていこうと思う。

それから疑問や想像も膨らんでくる。

「一年で‘入れ替える’」と言うサイクルの制定、そして「今年の新作」というものに望まれた栄誉、付加価値、その背景に存在する人のあらゆる顕示欲。そのサイクルとか、栄誉とか、顕示欲が混在し膨らみ、加速したのが現代なのかな。

じゃあこんな現代において、何を選んで、どうしていきたいか。

 

今、当たり前と思っている事には、必ず歴史がある。ちょっと考えれば当たり前なんだけれど。でもちゃんと目を向けたり、考えたりする時間をとっていただろうか。

そういえばペコラ銀座店主はいつも言っている「洋服づくりの中の当たり前の工程ひとつひとつ、その全てに意味があるんだ。それを一々、自分でしっかり考えなくちゃいけないんだ。」と。

洋服。洋服づくり。それらにも当然歴史と積み重ねがある。なぜ、それが存在しているのか。どうしてか。どこからか。いつからか。

まだまだ知らなきゃならない。

もっともっと考えなきゃならない。

洋服。

洋服づくり。

ペコラ銀座の洋服。

ペコラ銀座の洋服づくり。

 

Memo…「今」を考えるときは「今まで」をちゃんと感じる事。